旧日光道中

施設名 旧日光道中
概要 文禄3年(1594)に千住大橋が架橋されると、慶長2年(1597)に千住は交通手段である馬を用意する馬継村になったと伝えられています。寛永元年(1624)に江戸幕府が日光山造営法度を出して江戸と日光を結ぶ日光道中(にっこうどうちゅう)の整備を始めると、寛永2年(1625)に千住宿が整備されました。当初の千住宿は千住一丁目から五丁目まででしたが、交通量の増大にともなって万治元年(1658)に掃部宿(かもんじゅく)(現・千住仲町)・千住河原町・千住橋戸町が、万治3年(1660)に千住大橋を越えて小塚原町・中村町(現・荒川区南千住)が千住宿に加えられました。千住一丁目には宿場の事務を扱う問屋場と荷物の重量を検査する貫目改所(かんめあらためじょ)がありました。千住宿は日光道中23宿の初宿として、江戸から北関東、東北への交通の要衝となりました。また、江戸三大青物市場の1つである千住青物市場「ヤッチャバ」など物流の拠点として栄え、その面影が今も見られます。
住所 足立区千住橋戸町~足立区千住五丁目
アクセス 北千住駅(西口)
京成本線 千住大橋駅
マップ Googleマップ
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