【あだちミステリーハンター】文化フライ、駄菓子…足立区のソウルフードは安くて旨かった!
- 2019年4月26日
- 2021年12月22日
「舎人公園千本桜まつり」も終わり、春も爛漫にとても気持ちがいい日々がつづく。
わたしが「あだちミステリーハンター」として活動を始めてからも1年経ったわけだ。
「毛長姫の謎」や「新選組・近藤勇の最期の19日」「江北氷川神社の御朱印」など思い返せば、足立区の多くの謎にチャレンジしてきたもんだ。
様々な取材を通して足立区の人々に接して感じたのは、現代日本に失われつつある温かさ、懐かしさをともなった人情だ。
下町ならではの素晴らしい出会いがたくさんあった。
今回のミステリーは、そんな足立区の魅力ともつながる「安くて旨いグルメ」だ。
足立区観光交流協会からの依頼はこうだ。
「足立区の安くて旨いグルメを見つけて紹介してほしい! 当然、他にはないオリジナリティあるものを!」
段々とわたしに対する対応が雑になっているのは気のせいだろうか…。
しかし、わたしは1年以上足立区の面白いスポットを探し、ミステリーを解いてきた男。必ず見つけてみせる!
「あだちミステリーハンター」の名にかけて!
ラーメンが40円!? 86歳の店主が営む駄菓子屋は本日も大盛況
わたしはラーメンが大好きで、足立区はラーメンの激戦区。
各店が鎬(しのぎ)を削り、進化するラーメンだが、「40円でラーメンが食べられる」というにわかに信じがたい情報が飛び込んできた。
場所は、足立区新田3丁目15-11にある「セキノ商店」だ。
早速現地に向かってみると、小学生くらいの子どもが集まっているのを見つけることができた。
「セキノ商店」は、2015年頃にインターネットで話題になった駄菓子屋なのでご存じの方もいるだろうが、2016年には一度提供終了と報道されていた。まだやっているのだろうか…。
まだ食べられた!40円ラーメン!
一見すると、駄菓子屋には見えない古民家だが、中からは「おばさん、くじ3枚!」「おばさん、ジュース!」と子どもたちの声が聞こえてくる。
どうやらお店は開いているようだ。店内を除いてみると、小さいスペースに子どもと一緒になって店主とおぼしき女性がいる。
「40円ラーメンを食べたいのですが……」
と声をかけると、女性は優しく「座ってお待ちくださいね〜」と言い、プラスチックのカップにラーメン系駄菓子を入れ、天かすを手際よくかける。そして、ポットから昆布つゆを注ぐ。
そして、プラスチックのフォークを添えて、
「昔はこっちのレンゲを渡していたんだけど、洗うのが手間になってきてね〜」
と説明してくれた。
この方が店主の関野ヤヨ子さん。
なんと御年86歳とのことだ。
味は懐かしくも新しいというべきだろうか。
濃いめの昆布つゆと天かすを入れたラーメン系の駄菓子は、ちゃんとしたラーメンになっている。
「人生は楽しい!」店主の波乱万丈の人生
40円ラーメンを美味しくいただいているときも、ヤヨ子さんは子ども相手に大忙しだ。
そんな合間を縫って、お店を始めた経緯を聞いてみた。
「お店を始めたのは、昭和42(1967)年の頃。旦那が国鉄(現在のJR)で働いていたんだけど、この家では自転車小屋(自転車の修理等。現在は息子さんが継いでいる)もやっていてね。私もなにか始めようと思って、おでんと駄菓子の店を始めたんだよね」
なんと創業54年!
親子2代はもちろん、3代で通う人もいるのだとか。
話は止まらず、私の興味も尽きず、ヤヨ子さんの人生はいろいろとお話してもらったのだが…。
熊本県で民宿を営んでいる両親のもとに生まれたヤヨ子さんは、17〜18歳の頃とあることをきっかけに、宿泊していた旅一座(新月劇団という名称らしい)とともに家を飛び出したそうだ。
一座とともに日本全国を周り、民謡歌手の大塚文雄さんの弟子になるなど芸能にも身を投じていたそうだ。
まさに波乱万丈。しかし、ヤヨ子さんは話の合間に何度も
「人生は楽しい!」
と笑顔で言うのだ。
その後、上京して府中の飛行場で働くなどの経験の後に旦那さんと出会い、「セキノ商店」を始めたという流れだ(もっともっと面白い話があったがぜひご本人から聞いてほしい!)。
なぜ、86歳になってもお店を続けるのか?と問いかけると。
「子どもから元気をもらっているからね!」
と豪快に言い放つ。
話しているとこちらまでエネルギーをもらえるような快活さだ。
現在は親が子どもを連れてくることも多く、大人のためにビールも置いてあるそう。
世代を越えて楽しめる駄菓子屋に、ぜひ遊びにいってほしい。
まず現地に行くことがちょっとした冒険になる。
「西新井大師西駅」「十条駅」「王子駅」「赤羽駅」が最寄りになるのだろうが、そのすべての駅から徒歩だと少し厳しい。
バスに乗るのがおすすめだ。
「40円ラーメン」。
これは足立区オリジナルであり、「安くて旨い」を象徴する食べ物だろう。早速、観光交流協会に報告だ。
「いやー、よく見つけましたね! ミステリーハンターさんなら見つけてくれると思っていましたよ! かなり有名なお店みたいですからね! …で、他にはないんですか?」
言ってくれるじゃないか。
わたしの情報網を甘くみてはいけない。
実は、千住地域で有力な情報提供があったのだ。
セキノ商店 〒123-0865 東京都足立区新田3-15-11(MAP) 【最寄り駅】バス停「新田2丁目」より徒歩3分 |
もう食べることはできない!? 幻の文化フライを求めて
観光交流協会をあっと言わせるには「文化フライ」しかないだろう。
この文化フライこそ、足立区が発祥の「安くて旨い」の元祖とも言えるものだ。
しかし、文化フライはいまや幻の食べ物なのだ。
文化フライを知らない読者諸氏に説明しよう。
文化フライは、昭和30〜40年ごろ足立区の子どもたちに大人気だった食べ物だ。
よく練った小麦粉を小判型にし、パン粉をまぶして揚げる。
中には具は入っておらず、ソースをたっぷりとかけて食べるのだ。
文化フライは、「千住のすずめ焼き(小鮒の串焼き)」「ボッタ(もんじゃ)」「草だんご」と並び称される足立区の名物だったのだ。
発祥は、足立区梅田の「長谷川商店」。
長谷川政子さんという女性が考案したものなのだが、レシピは秘匿されたまま2006年に彼女が他界。
以来、似たような食べ物は数々あれど、真の文化フライは世の中から消えてしまったのだ。
門外不出のレシピ。
これぞ、あだちミステリーと言えるだろう。
子供の頃に実際に文化フライを食べたことがあるという男性のコメントを紹介しよう。
「赤門寺(勝専寺)の閻魔開きの縁日で、10~20円程度で売られていたものを食べていました。当時の駄菓子が1〜2円で買えたので、ちょっと高めでしたね。なので、縁日でしか食べられない特別感がありました。実は、味はあまり覚えていません(笑)。でも、ソースの香りが鼻腔をくすぐるのは印象に残っています。たこ焼きや藤田焼きなどの粉ものは当時もありましたが、“フライ”の出店は珍しかったので、子どもたちの目を引いていました」
この伝説の「文化フライ」、世界で唯一食べることができるお店が、北千住にあるお好み焼き・もんじゃ焼き店の「コウゲツ(宏月)」だ。
同店は、長谷川商店から文化フライを長年仕入れていたこともあり、店主の熱い想いもあって、舌を頼りに研究に研究を重ねた文化フライの「復刻版」を完成させた。
その味は、文化フライ研究家も太鼓判を押す味で、同店の看板メニューのひとつだ。
どうだ、この2つが足立区で誇れる「安くて旨い」の象徴だ! と興奮して、「コウゲツ(宏月)」の暖簾をくぐってみると、そこには見たことのある顔が……。足立区観光交流協会の担当者(依頼主)だ。
「あ、ハンターさん…。いや、あなたならきっとこの店を見つけてくれると思っていましたよ! さあさあ、座って! 文化フライでも食べて!」
なるほど。彼らは足立区を知り尽くしている人間だ。
当然、「コウゲツ(宏月)」のことも知っていたのだろう。そのうえで、あえて私に謎の深掘りをさせたのか…。
いや…もとはと言えば…。
と考えをアレコレと巡らせながら、サクッと文化フライを口に運ぶと、しょっぱくてほんのり甘く優しい味が広がる。
初めて食べるのに、懐かしさを覚える不思議な味。なんだか下町の風景が頭に浮かんできた。
最終的には足立区のグルメ話で大いに盛り上がったのだった。
コウゲツ(宏月) 〒120-0034 東京都足立区千住3−68(MAP) 【最寄り駅】北千住駅より徒歩3分 |