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【あだちミステリーハンター】辰沼で発見した懐かしいセルロイド人形と蒸気機関車

  • 2019年1月31日
  • 2021年12月22日

あだちミステリーハンターわたしのもとに面白い情報が届いた。
足立区辰沼地域では、お年寄りの方にとっては懐かしく、若い人にとっては新鮮に感じる「珍しいもの」が見ることができるということだ。

辰沼は土地勘のない方には馴染みが薄い地域かもしれないが、そんな老若男女が喜ぶものがあるのだろうか……?

よし、では「珍しいもの」を見るために、辰沼にいってみようじゃないか!

国内最後のセルロイド人形職人・平井さん

あだちミステリーハンター
セルロイド人形職人 平井英一氏

情報をもとに「珍しいもの」があるとされる場所をうろちょろするが、一向にそれらしいものは見つからない……。

住宅街のなかを徘徊するのは気が引けるので、思い切って“あたり”をつけた住宅に突撃してみた。すると、優しそうな方が応対してくれたので、思わずホッと胸をなでおろす。

会話をつづけるうちに分かったが、なんとこの方が国内最後のセルロイド人形職人である平井英一さんだった……!

【セルロイド人形とは】

セルロイドは、合成樹脂のひとつで人工では初となる熱可塑性樹脂。
成形が簡単であることから、ピンポン玉やおもちゃ、アニメーションのシート、いわゆる「セル画」など様々なものに活用された。
昭和20〜30年代は日本でも人形などのセルロイド製のおもちゃが普及し、多くの生産工場が葛飾区、足立区を中心に多く存在した。

わたし「セルロイド人形をいまだに製作している理由はなんでしょうか?」

平井さん「セルロイド人形が全盛だったのは昭和20年代の後半から30年代にかけてです。平井玩具製作所では、主におもちゃを製作していましたが、ソフトビニルや塩化ビニルのおもちゃが浸透してきて、徐々に売れなくなっていきました。商売として成り立たないので、父と僕はセルロイド人形づくりをやめたのです。その後は熊手に付いている鯛などの縁起物などを中心に製作していましたが、やはりもう一度人形をつくりたいという思いが強くなってきました」

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セルロイド人形制作風景

わたし「とは言え、製作しても商売としては厳しかったのでは?」

平井さん「そんな状況を変えてくれたのが、実はインターネットだったんです。まだWindows 95でダイアルアップ接続の時代から、インターネットを利用していました。2002年頃だと思いますが、全国の人形好きが集まるBBS(掲示板)で、製作した『セルロイド人形ミーコ』を投稿したところ、大きな反響があったのです」

わたし「そんな時代からインターネットを駆使していたのですか!?」

平井さん「現在のホームページもその頃に自分で作ったものですし、15年以上毎日ブログを欠かさずに書いています(笑)。インターネットがあったことで、これまで接点のなかった全国の皆さんに、セルロイド人形の魅力を伝えることができるようになりました。現在でも月に10〜15件ほどの注文があります」

わたし「昔の人形が最新のツールを駆使したことで蘇ったのですね」

平井さん「“なつかしくてあたらしい”というキーワードは、名刺などにも必ず入れているのですが、当時最新のインターネットで懐かしいものを復活できたという意味を込めています。現在の『ミーコ』は、色とりどりで様々な服を着ていますが、当初は裸でした。着せ替え人形として、どうにか『ミーコ』のサイズに合う服を着させてやりたいと思いました。八方あたってもなかなか見つかりませんでしたが、いまの服をつくってくれている『ひみつの花園』さんもインターネットで知り合ったのです」

わたし「50年以上前に生まれ、絶滅しかけていたセルロイド人形をインターネットが全国の人形愛好家の人をつなげてくれた、というのはドラマチックですね!」

平井さん「今日の取材もブログに書こうかな(笑)」

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ブログ運営の様子

>>平井玩具製作所「セルロイド・ドリーム」ホームページはこちらから

住宅街のなかに謎の駅が……!?

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あだち蒸気機関車館入り口

こんな住宅街のなかに、国内唯一のセルロイド人形職人がいたことにも驚いたが、時代の流れに逆らって愛されつづけるセルロイド人形ミーコにまつわる話も感慨深い。
昭和2〜30年代に子どもたちがセルロイド製のおもちゃで遊んでいた光景を想像しながら、平井玩具店をあとにする。

辰沼にあるといわれるもうひとつの「珍しいもの」の場所に向かうと、どこにでもある平和な住宅街になぜか駅看板がある。
そこには「あだち蒸気機関車館」と書いてある。
間違いなく「珍しいもの」は、これに違いない! 早速、ミステリーを解いてみようじゃないか。

入館すると、目の前にはミニSLが展示されている。
サイズは小さいが、細部まで見事にSLが再現されており、なんだか自分が巨人にでもなったような感覚になった。

館長である納田茂さんに話をうかがうと、この「あだち蒸気機関車館」は2013年4月に開館したとのことだ。

「当館には、9台のライブスチーム(実際に石炭で動く機関車)と5台のバッテリカーを展示しています。これらのすべては、わたしの父が製作したものなんです。父はとにかくものづくりが大好きで、電力関係の仕事をしていたこともあり、電気系統が得意でした。機関車ならつくったあとに自分も乗れると思い、本を読んで自分で研究しながら、いろいろな材料を買ってきては、1日中倉庫にこもっていました。最初のライブスチームが完成したのは昭和37年のときです」(納田さん)

「あだち蒸気機関車館」にあるミニSLたちは、なんと全部館長である納田さんのお父上が製作したものだった……!
しかも、実際に線路を走るというのだからとんでもない。

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手汽車は雑誌の特集で取り上げられたことも

「子供の頃は、自宅の前の道路に50メートルくらいの線路をひいて、父のつくったライブスチームに乗っていました(笑)。すると、近所から人が集まってくるんです。だから、私もまだ小学1年生くらいだったんですけど、ライブスチームを運転して、人を乗せたりしていましたね。父は50年間かけてライブスチームやバッテリカーを40台製作しました。現在、父は92歳なのですが、このままにしておくのは勿体ないと考えるようになりました。15年くらい前からイベントなどに呼ばれ、子どもたちを乗せたりすることはあったのですが、天気に左右されたり、運搬も大変。常時展示・運転ができるようにしたいと思い、当館をオープンしたのです」(納田さん)

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当時お父さんが参考にした本
あだちミステリーハンター
出来上がった汽車

ライブスチームは石炭を使用することもあり、納田さん自身もこれまで走らせたことがないため、同館で楽しめるのはバッテリカーだと言う。
また2階は納田さんが収集したコインや切手、カードなど蒸気機関車に関連する貴重なグッズが展示されている。

「来館される方が楽しめるように蒸気機関車に関連するものを集めることにしました。もともとコインや切手は個人的にコレクションしていたのですが、珍しいものがあればオークションで購入したり、わずかですが海外のものもあります。開館して1年半くらいは近所の方が来館するケースが多かったのですが、もっと蒸気機関車が好きな全国の方にも来ていただきたいと思い、ブログをはじめました。いまでは遠方から来館される方も増えてきて、ブログの閲覧数も200〜300まで伸びるようになりました」(納田さん)

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汽車に関するコインなども展示

インターネットを通じて、全国の方々に蒸気機関車の魅力を発信し、蒸気機関車好きの方とコミュニケーションを取るようになったというのは、平井さんとまったく同じ。
辰沼にあるもうひとつの「珍しいもの」は、いまではなかなか触れることのできない蒸気機関車を体感できる「あだち蒸気機関車館」だった。

>>あだち蒸気機関車館のブログはこちらから
アクセス情報や開館時間などはブログをご覧ください。

昭和レトロが色濃く残る街・辰沼

わたしは昭和生まれではあるが、昭和後半のため、実際に蒸気機関車やセルロイド人形に触れる機会は少なかった。しかし、辰沼にはまだまだ時代を彩ったモノ・コト・ヒトがあり、しかも実にイキイキと過ごしていた。

今回の調査では、非常に懐かしい気持ちになったと同時に、昭和生まれとしてはぜひこの「文化と歴史」を10年先、100年先まで受け継いでいってもらいたいと強く感じたのだ。

平井さんも納田さんも決してお若いとは言えないのだが、「もっと魅力を伝えたい」という熱い思いから、インターネットを利用して、全国に発信したという共通点も興味深い。

辰沼は、全国から注目を集める昭和レトロが色濃く残る街だったのだ。

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